2016年11月14日

松本岡山五日目。小松にて、神社休憩と慢心のこと。

松本から岡山五日目。

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石川県の金沢の少し東、小松の町にて友人がいるので今日は自転車は休暇。
別段何があるという町でもない。
日本海の町としては金沢の近くなので、それなりに栄えている。
栄えているとは言えど、哀愁ある商店街ではある。

のんびり安宅の関やヒメ神社なんか、なぜか二人で延々と神社を歩く。
神社はやっぱり良い。
走っている時ももっと積極的に神社休憩を取り入れて行くべきだなぁとしみじみ思う。


そう、休憩について思うところがある。
走る方については、別に単に走るだけだ。もちろん、ある程度、走ってきたからこそそんな風に思うのかもしれないけれど。
それでも、休憩の善し悪しはすごく大事だ。


昨日なんかは休憩については全然ダメだった。
コンビニによって珈琲飲んで。
ホットコーヒーがとても好きだから、ついついコンビニでホットコーヒーを飲んでしまう。夏でも何でもホットコーヒー。最近のコンビニの珈琲って十分に美味しい。

でも、休憩としてはコンビニの休憩ってあまり好きじゃない。


自転車の休憩には二つの大きな意味がある。
単なる心身共に疲れを取るということ。
そして、補給。
この二つが一番だろう。


もちろん他の要素もある。
僕なんかは地に足を付いて改めて写真を撮れるっていうのもとても大事にしているにせよ、そこは人によって違う。自転車の写真を撮るのは好きだし、とても綺麗だなと思える写真が撮れることもあるけれど、やっぱり自転車で一番良いのは乗っている時の目に映るもの、体に当たる風、におい、昂揚感だろうと思う。
やはりいかに文言を尽くせど、良い写真を撮れても、本当に乗るにはどうしたって届かない。でも、当人が求めさえすれば、だれでも乗れる、嗚呼、自転車って良い乗り物だな。


少し脱線しかけたけど。
そう、体力回復と補給だけ見ればコンビニは良い。
でも、心の回復という点ではコンビニって全然ダメだ。もちろん、いくらかは回復する。
でも、やっぱり景色の良いところで思わず脚を止めるとか、どうにも疲れちまって道路脇にへたりこんで菓子パンかじるとか。そういう方が遙かに休憩として面白かったりする。変な開放感みたいな。


ただ、書いていて、改めて気付いたけれど、やはり僕は一人で走るタイプらしい。
そういう路上にへたりこんでの気持ち良さって、一人きりってのが前提なのかもしれない。

そう、一人のライドの方が休憩の質っていうのは自由度も上がるし重要性も高まると思う。
何人かで走るとある程度、事前に良さそうな休憩ポイントを決めることになる。
もちろん、それはそれで楽しい。

昔、ショップ店員だった頃、お客さんと一緒に走る会があったんだけれど、僕は徹底して「ただ走るだけ」っていうのはしないようにした。
もちろん、僕も一人で走る時にはただ走るだけっていうのはある。ショップ店員だった頃は仕事の前や後に一人で走りに行くこともあった。特に平日の店が暇な日なんかにちょっとしたところをイジッて夜走りに行くのは楽しかった。SMPのサドルの角度をほんの少しずつ変えながら、一人でああでもない、こうでもないなんて走ってるのが印象に残っている。あれは面白かった。サドルとじっくり相談するなんて本当にあるもんなんだな、そして、結構面白いものなんだな、って。ラテックスのチューブを初めて入れてみて、ネットの批評じゃなくて自分が納得するまでじっくり試すとか。

残念ながら、僕の乗っていた車体は最初からアルテグラで組んでしまっていたし、ホイールもキシリウムという完成された良いものを早い段階から入れてしまっていたから、あまりイジるポイントは少なかったにせよ、アウターワイヤーの長さをいじったりだとか、クリートの位置をいつもと全然違うようにしてみたりとか、車体に限らずトレーニング理論を勉強して自分で人体実験してみたりとか、本当に些細なことで全然走りが変わるかと思えば、案外、世間で騒ぐほど変わらないこともあるなと思ったり。

まあ、そんな具合のぼんやりした休憩のない「ただ走るだけの」ライドっていうのも面白いのは事実だ。


でも、やはりみんなと走る時に全員に「ただ走るだけ」を強要するのは、本当に嫌だった。
「ただ走るだけ」はやはりそれなりのヤル気みたいなものが必要だ。
それよりは誰でも楽しめる入り口っていうのが大事かなと今でも思っている。
「ただ走るだけ」が出来る人は、一人でも走りに行くし、脚の合う仲間なんていくらかはいる。


いずれ「ただ走るだけ」の楽しさも理解してもらえたら嬉しいけれど、別に理解しなくても良いと思っている。でも、一つの楽しみ方だけじゃなくて、出来るだけ多くのいろんな楽しみ方をしてもらえたらなとは思った。
ただ、まずはどんな形にせよ自転車って楽しいってのが一人でも多くに伝われば、それが僕の仕事の目標だった。
だから、誰でも楽しめる走り方っていうのは僕にはとても重要だった。


休憩は僕の中ではとても大事な要素なのだ。


でも、案外、そんな当たり前のことを忘れてしまっていたりすることがあって。
意識してやっていかねば、向上しない。
より良い休憩は天から与えられるものでもあるが、天が与えてくれた良き休憩のチャンスにきちんと気付けるかは、やっぱりたえず潜在的なところで意識してないといけない。


神社休憩。
まあ、単に個人的な趣味として神社が好きだから神社休憩をきちんと取り入れて行かないといけないな、って。
割とダムなんかはきちんと脚を止めるようにはなってきたのに、なぜか大好きな神社は「ああ、良さそうな神社だなぁ」なんて素通りしてしまっていた。


多分、慢心なんだろう。
自分はある程度自転車については詳しくなっていて、何も考えなくてもそれなりに良いライドが出来るなんて心のどこかにあったんだろう。


今回のライドは本当に自分の慢心に気付くことが多い。
先日の峠でのタイヤのトラブル然り。
金銭面でも今回はちょっと緩すぎる。金銭面については、むしろ昔ケチり過ぎたから、もう少し積極的に興味があることにはケチらず使うべきだなというのもあるにせよ。それでも、良くない緩さがちょくちょくある。

慢心だ。


遊びを遊んでやっちまうと、本当にただの無益な遊びになる。
それも良い、日頃のストレスを晴らすのに何も考えず有益無益など考えずに適当に遊ぶ、それも大事だ。

だけれど、生きてる中で一番好きな遊びはやっぱり真剣に取り組まねばならない。
ただ、ぼんやりと何者かに走らされてるように走るようになったらオシマイだ。

いつでもより面白くなるような工夫、努力、姿勢を持ち続けなければ。


やっぱり自分の慢心っていうのは一人きりでは気付けないんだなとしみじみ。
良き友人、理解者が別にアドバイスするなんてわけでないにせよ、もたらしてくれる時間、空気、そういうのはやっぱりすごく大事だ。


ついつい一人きりで自転車に乗っていると厭世的な考えに入ることもあるけれど。
まだまだ自転車から人生を教わることはいっぱいあるんだなとしみじみ。
今日は友人と自転車に深く感謝。


そんなこんな。

posted by じてぼん。 at 00:43 | 自転車旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする