2019年10月17日

元旅人の旅の後。

旅人の旅の後の話を考える。

ーーー

本日は、群馬にてお世話になったSさんに挨拶にいこうと思ったところ、偶然、Yさんなる元旅人も来ていた。
Yさんも自転車で異国を旅してきた人だった。
僕よりもずっと長い距離を長い時間。
旅が終わったYさんは自転車屋さんで働くことについて興味があるということで、自転車屋さんの仕事についての話などした。

自転車屋さんが仕事として良いかどうか、っていうのは置いておく。
雑な言い方にはなるが、どの仕事でも、どんな人が、どういう考え方で、どのようにするか次第だろう。
良いか悪いかっていうのは、その人の仕事への考え方、どういう仕事をしたいかということと、会社の考え方が合うかどうかというところが大きいように思う。
別に自転車屋さんであれ、工務店であれ。

とりあえず、僕は自転車屋さんっていう仕事は平和で好きだった。
ただ、会社と考え方が合わなくなってしまったのでやめただけのことで、自転車屋さんっていう仕事自体はとても好きだった。
もちろん、仕事の中で嫌なこと、面倒なことも少なからずあったけれど。
総じて、自転車屋さんとは平和で良い仕事だ。

ーーー

旅人の旅の後のこと。

旅人に限らず、山小屋の人っていうのもそうかもしれない。
山小屋の場合、仕事ではあるけれど、半年間、家を離れて山の奥深くの小屋にこもって仕事しないといけないし、冬は冬で仕事を別に探さないといけないので、どうしても結婚したり家族が出来ると続けていくことが難しくなる。
中にはずっと山小屋で働き続ける人もいるけれど、多くはない。
やっぱり難しい。

ほとんどの人が旅に出発(あるいは山小屋で働き始める)すれば、旅に終わりがやってくる。
沢木耕太郎『深夜特急』みたいにドラマティックな具合には行かない。(あれはあくまで小説であり、全て事実というわけではない。事実に基づいた物語である。もちろん、嘘というわけではない)

旅はある日終わるのだ。

と、言いつつ、僕の友人は18歳で日本を出てアメリカに行って、その後はドイツにいって、今度はグルジアに行く、特別仕事で行くわけではなく、なんとなくその国で暮らしてみたいから、そこで仕事を探して生きていくっていうやつがいるので、そういう風に旅と日常が混在したように生きていく人も世の中にはいるのだが。

ただ、基本的には多くの人がいずれ旅が終わる。

----

自転車の旅が終わって自転車屋さんに就職するという人は少なからずいる。
そこから自分の店をする人もいる。

そこから普通のサラリーマンになる人もいる。僕のように。

はたまた、地域おこし協力隊と言って、過疎地域の村などで観光や農業をする人もいる。協力隊の任期は限られているので、それが終わったら、その土地で起業するか、その土地で何か仕事をするか、はたまた別の何かをするか。

自分でゲストハウスやバーなんかを開く人もいる。

----

何にせよ、大学を卒業してストレートで就職をするのと違って、苦労はする。
自由人とかヒッピーとか言われたりして、社会人として高く評価してもらえることは少ない。

でも、あまり気にする必要はないと思う。

あくまで持論だが、大学を卒業して、ストレートで企業に入ったって、
・仕事が合わなくて鬱になってやめてしまう人。
・親族が病気になって介護のために仕事を辞めて故郷に戻り介護する人。
そういう人はいるのだ。

どの程度の期間、仕事を辞めているかにもよるが、
「自分の意思で旅に出て、自転車一つで旅をして、大陸を横断する男」
っていうのは決して駄目な評価ばかりではないのだ。

そりゃ、大手企業なんかは無難な人を取りたい。
100人取って、その中から数人の幹部候補生が育てば、残りは平社員として生きてもらうっていうのが大企業の戦略だ。
なので、変わった人もいくらかは欲しいにせよ、一流大学を卒業している100人の人を取ってその中に優秀な人がいれば良いなというものだ。

それに対して、中小企業はピンポイントで戦力が欲しい。
戦力というと即戦力もあるが、育てて戦力になるような人間が欲しい。

そういう中で元旅人ってアリなんじゃないかと思うわけだ。

まず常識が違う。見聞もある。行動力もある。そういうのはアイデアになる。

もちろん、企業とはチームだから協調性も必要だし、組織内にはヒエラルキーもあるから、そういう理解は必要ではある。

ただ、斬新なアイデア、行動力、精神力を持った人。
こういうのってなかなか作れない。

特にインターネットで世界が加速する現代、行動力、精神力で新しいことを切り開けないと企業はジリ貧になってしまうこともある。

ーーー

もちろん、そういう元旅人需要は存在はすれど、年齢がある程度になれば採ってくれる企業も少なくなる。

長期で旅するリスクは大きい。
・無職の期間ができること
・年をとること

旅のことを考えると、実にタイムイズマネーだと思う。
というか、タイムとマネーだとタイムが圧倒的に大事だ。
時間を使ってお金は作れるが、お金で時間を買うっていうのは難しい。
新幹線を使えば移動時間が減って、お金を時間で買えている、という考えもあるが。
これは違うと思う。
移動とは時間をかけてする方が優雅なのだ。
時間がないので、仕方なくお金を使って速く移動しているだけであり、それは時間を買っているわけではない。

単純に時間を使ってお金を稼ぐというだけじゃなく、
時間を使ってやることは人間の経歴になる。
ニートをしていても、旅をしていても、デンツーで働いていても経歴は経歴だ。
経歴とは、現在の、日本という国の中で、どういった価値があるかと評価される。

人間としてどうなのかというと、ニートも旅もデンツーもさほど大差ない。
生きていて子どもが残せれば生物としては問題ない。
生物として問題なくても、食べられるために生きる牛などの家畜の生涯、それと同じような人生ってどうだろうか。
牛などの家畜って世界に広く、多く分布している。
生物としては勝ち組である。種の保存という観点では家畜化されて生き延びるっていうのは勝ちなのだろう。
でも、やっぱり一匹の牛として考えれば、狭い柵のくさい牛舎で閉じ込められて暮らすよりも、肉食獣に食べられる危険の可能性はあれど広い草原で生きていく方が幸福だろう。

なので、ただ、生きて子を産めば良いというものではない。
当たり前だけど。

ーーー

自分が望むように生きていけるように、経歴を作っていかないといけない。

旅っていう経歴は決して大衆受けはしない。
でも、旅をするっていうことは決して間違っていることではない。
自分の生き方を自分で能動的に決めるということは難しい。
本来は当たり前のことだけれど。

自由に選択するということは難しい。
例えば普通科高校に行くか、商業高校に行くか、工業高校に行くか。
こんなこと、15歳の中学生が決めるのって無理がある。
さらには大学に行くか。
どこの大学に行くか。
そして、何の仕事をするか。
どこで生きるか。
どう生きるか。

そういった選択を能動的に決めるってすごく難しい。
最後は自分で決めるとは言うけれど。
現実には、暗黙の誘導がある。
『偏差値がいくつあるからどこそこの高校に行こう、どこそこの大学に入れるよ、できるだけ上の大学に行ったほうが良い』
『給料が高くて、休みが多くて、福利厚生の良い会社に入ったほうが良い』
日本という社会では、そういった常識がメインストリームであり、疑わなければ、そういう常識の流れに沿った選択肢を選ぶことになる。

ーーー

でも、至極当たり前なのだが。
自分で自分の行動を選択するというのはとても大事なことなのだ。

つまり、旅に出ようと決めるということ。
とてもリスクはある。
そんなことはある程度の大人になれば分かる。
常識という流れに逆らうことになる。

それでも、自分にとって必要だから旅に出る。

そういう決定って本当にすごいことなのだ。

ーーー

不謹慎ではあるが、災害の避難を考えても分かる。
みんなが大丈夫って言っている、みんなが建てているから、川の近い低い土地に建物を建てる。
周りの人が避難していないから、自分も避難しない。

これは全くおかしい話ではないし、世界にあふれている話だ。
現実として川が近い低地に住宅街はある。
避難勧告が出ても、避難しない人は多い。

なぜって、洪水など滅多に起きることじゃないからだ。
それよりは、日々の通勤、子どもが通う学校、スーパーが近くにあるか、そういったことは毎日の生活に関わる。
避難勧告にしても、避難勧告が出たからと言って、その後、避難指示に変わる確率はさほど高くないし、避難命令になることは滅多にない。

「大丈夫かな、避難した方が良いかな」
大のおとなが相談するわけだ。
「いや、避難しなくても大丈夫でしょ」
という言葉を期待して。

自分で選択するっていうのは難しい。
なぜなら、僕らは人間であり、人間とは集団で生きるものであり、集団とは思想、宗教、法律などの抽象的な考え方でまとまるものだからだ。
「オレはこんなところには住みたくない、あそこに住みたい」
と全員がバラバラのことを言うと、町が作れない。
人間としての集団、社会が作れない。

ーーー

でも、そうは言っても、現実には自分で選択しないと洪水になれば流されてしまうのだ。

もちろん、選択しても流されてしまうことはあるのだけど。

そこは最後は運ではある。
なので、今回の台風で被害に遭ったからって、その人が悪いということはない。当然ながら災害に遭わなかったからと言って正しいということもない。
台風じゃなくて、うちの真下で大地震が起きていたら。
はたまた、うちにミサイルが飛んできていたら。
僕は死んでしまっていただろう。

残念ながら良い人だから助かるということもないし、悪い人は滅びるということもない。

なので、僕ら人間は集団を頼る。

僕らは人間をしている限り集団で生きるものなので。
みんなが家を建てるところは安全だと信じるし、実際、ある程度の安全対策はしているものだ。

僕らは選択するということがとても苦手な生き物なのだと思う。

ーーー

話は随分飛躍しているが。

旅に出るという選択を出来るというのは、人間としてとてもすごいことだと僕は思うのだ。

別にそのおかげで儲かるわけでもないし、良い仕事が見つかるわけでも、モテるわけでもない。
たまにはそういうこともあるかもしれないけれど。

それでも、自分のために、自分の判断で、自分の人生を選択する。
旅に出るってそういうことだと思うのだ。

旅に出る難しさってそこだろう。
旅の資金、体力、自転車の修理の技術、旅の知識、そういったことって些細なことだと思う。
自分で自分の人生を選択することこそ一番難しいのだ。

その選択さえ出来れば、あとは何だかんで何とかなる。

ーーー

旅の後の元旅人は日本の社会に戻るのに苦労はするけれど、
さほど心配することはないと思うのだ。

それは今日お会いしたYさんにせよ、
これから全く未経験の仕事をしていく僕にせよ。
そして、これから旅に出ようか悩んでいる人にせよ。

選択するのが難しい生き物、時代、社会。
その中で自分の人生のために自分で判断して選択する。
人生に一回くらいそういうことをしたって良いし。
それは立派なことじゃないかなと僕は思うのだ。

そして、旅の中で出会って、今の自転車屋さんを紹介してくれて、困ったときには相談に乗ってくれたSさんには改めて感謝である。

ま、そんなこんな。

posted by じてぼん。 at 19:38 | 自転車旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする